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ネット&ブログ時代の読みやすい文章とは?

ブログが一般化した今、いわゆる文章の書き口について、ひとつの決定的な流れが生まれたと思います。「だ・である」調を堅苦しいと考える人が増え、やさしい印象の「です・ます」調が幅を利かせるようになった、ということです。

「だ・である」と「です・ます」

「だ・である」調は、そもそも新聞など少ないスペースで多くの情報をシンプルに伝えるために、必要最低限の語尾で短く読ませることを目的としている(はず)です。そうすると、Webのような、事実上無制限のスペースを使える場所では、そのメリットは生きてきません。逆に、堅苦しさ、上から目線、権威的な物言いといった、デメリットが強まる語調でしかなくなってしまいます。

対する「です・ます」調は、執筆者のキャラクターがやわらかく出ますし、下手(したて)・ていねいな印象を与えることができます。ただし、「だ・である」調と比較すると、全体的に一文が長くなり、それを「冗長」と捉えられるという難点もあります。

ぼくは、「だ・である」と「です・ます」に対する印象の違いは、つまりは「世代の違い」と言えると考えています。新聞世代、おもに40代以降にとっては、「だ・である」のほうが情報がスムーズに入ってきて好印象でしょう。ネット・ケータイ・ブログ世代、おもに30代未満にとっては、「です・ます」で相手のキャラクターが見えたり、適度な距離感で語り下ろされたりする文章のほうが印象がよいはずです。特に後者の世代にとっては、「だ・である」調は読み慣れない語調であって、堅苦しいと感じてしまうことが多いでしょう。

30~40歳ぐらいの中間層は、新聞とネットの両方に触れているのですが、まだ順応性が高いため、ネット世代に近い感覚を持つ人が多いのではないでしょうか。

以上のように、世間的な流行やシェアを俯瞰して見ると、「です・ます」のほうが受け入れられているように感じるわけです。

ネット時代の文章にはなぜ「字下げ」が少ないか

ネットやブログが一般化して、「文字・文章」に対する意識というのもずいぶん変わったのではないでしょうか。ちょっと抽象的な言い方になりますが、特に若い世代、デジタルネイティブにとっての「文字・文章」は、それ以前の世代とは違います。ここでは、文章や文字の役割やあり方について、少し考えてみました。

文字や文章に対する世代間の意識の差を感じた、その論拠はふたつあります。

まずひとつは、「字下げ」が減ったことです。「字下げ」とは、段落の行頭を全角1字分下げて始めることで、出版物はたいていそうなっています。ですが、これがブログとなると、字下げをしていない文章がとても多いのです。

そもそも字下げは天皇に対する敬意を表すといった、象徴的意味を持つらしいのですが、それを念頭にていねいに段落の頭を1字下げているという意識の人は少ないでしょう。字下げをする理由は、「習慣として」「読みやすくするため」といったところです。

ブログではこの字下げが少ない代わりに、段落ごとに1行や2行のアキを作るケースが多いです。実際、このアキがあるおかげで、読みやすさは確保されています。

なぜこのような処理になったのでしょうか。

もちろん、いくつかの複合的な要因があるのだと思いますが、ぼくは、理由のひとつは技術的なもの、「Webにおける行間の初期設定」ではないかと考えています。

Webにおけるテキストは、初期設定では行間が狭く、CSSのline-heightで調整しない限り、アキが0.25~0.5文字分程度、対する印刷物の場合、アキは0.5~1.0文字分ぐらいと結構差があるのです。つまり、「そもそもWebのテキストは行間が狭いので、意識的に改行を入れて見やすくしてあげましょう」ということなのだろう、という見解です。

これに加えて、ぼくは「ケータイ小説」の登場もその要因のひとつではないかと考えています。ケータイ、iモード的な文化の中では、携帯端末が無駄に多種多様で、テキストの読みやすさも当然ばらつきがありました。特に行間についての配慮はほぼなくて、行間0.0文字なんていうのも珍しくなかったはずです。また、携帯端末の仕様上、行長(1行の長さ)が新聞・雑誌・書籍に比べて著しく短いため、ちょっとした文章でもギュッと固まって見えて、とても読みにくかったのです。

そんなことも影響してか、当時のテキストコミュニケーションは、短文、要所に絵文字、句読点なし、適宜改行で感情表現まで行う、というスタイルが一般化しました(今でも友人とのメールはそのような体裁でしょう)。

そのフォーマットをそのままひと続きの読み物に(無意識的に)応用したのが「ケータイ小説」なのかなと思うのです。

このケータイ小説全盛期に生まれた考え方のひとつが、
「改行をうまく使うと間や感情を表現できること」

これは2000年代の日本における発明のひとつではないかと心ひそかに感動しました。そんな流れの中で、主に視覚的・技術的なメリットだけ残ったのが、現在の「字下げなし、改行適宜」なのかもなあ、と。

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