サカナクション「グッドバイ」PVの意味を考える | やぎおインフォ  
   
               
   

サカナクション「グッドバイ」PVの意味を考える

goodbye

難解な詩と、やや謎めいたPV。そして寂しげだが希望を感じる旋律。
サカナクションが2014年1月15日にリリースしたこの新曲、テーマはタイトルの通り「別れ」です。
ぼくは詩とPVを見ていて、少し感じたことがありますので、ここにぼくなりの読み解きを書いてみることにしました。

人生は出会いと別れの繰り返し。その根本は選べない

まずは詩について。
山口一郎がささやくのは、こういうことなのでしょう。

人生は出会いと別れの連続であり、人は、その未来に何があるのかは知るよしもないが、とにかく前に進むことしかできないし、前に進むことによってしか出会いはやってこない。出会いがあれば別れ、つまり「グッドバイ」があるが、それでもやはり前に進んで出会うしかない……。喜びがあって哀しみがある、人生は否応なしにその繰り返しなのだ。

というふうに理解しました。

生きる者の世界と、死にゆく者の世界

続いて、PVについて。
これ以降は、ネタバレに感じる人がいる可能性がありますので、まずはPVを自分の目で観てから、をオススメします。

男女が出会い、愛し合い、そして死別するというストーリー。

山口一郎扮するフードをかぶった死神のような男が、渡し守といった役どころで女性を乗せた小舟を漕ぎ、深い森を分かつ川を、ゆっくりと進んでいます。

川岸には他のメンバーも。最初に現れたメンバーは、ふと白馬に姿を変える場面もあり幻想的です。まるで、夢の中のシーンのよう。少なくとも、現実世界のそれではありません。
ぼくの目には、三途の川をイメージさせる像として映りました。

亡くなるのは、PV終盤ではっきりしますが、男性のほうです。男性は突如小舟に乗り込んできて女性と対面。でもそのあと、小舟から姿を消し、川岸の樹に体を預けながら、離れていく小舟を愛おしそうに見送ります。

これがPVのざっくりとしたあらすじですが、ここまで観て気になったのが、小舟に乗せられているのは女性のほうだということです。
三途の川を渡るのは、亡くなった人ではないのでしょうか?

ぼくはここに、山口一郎が込めた思いを感じたのです。

旅する者と見送る者

亡くなる者が「先に行っている」と口にしたり、残された者が亡くなった者に対して「もうすぐ行くから」とつぶやくことがありますよね。こういうシーンは、多くの日本人のメンタリティとして違和感のない表現のひとつだと思います。
その背後には、人は亡くなると旅立つ一方で、残された者は、文字通り「残る」、つまり留まるというイメージがあります。
これは宗教的な意味で、現世を修行の場として捉え、死後の世界が次の行き場所、本来の居場所であるという考えが根底にあるためでしょう。

山口は、この宗教的な死別の解釈をせずに、現象としての死別をそのまま見せることを考えたのではないでしょうか。
つまり、宗教的には、三途の川を渡り、死後の世界に旅立つのは亡者で、それを見送るのは生者。でも、宗教的物語のベールを取り去り、現実を軸にしてこの現象を見るとき、川を渡り先に進むのは生者、見送るのは亡者なのです。死によって世界が終わるのは、あくまで亡くなった本人。残された者にとって、世界は、続く。

このように、宗教的な見方と現象的な見方では、立場がまるで逆転しているのです。
少なくとも死後の世界の存在を実感したことのない生者であるぼくらにとって、山口が提示する亡者と生者の関係性は、切ないけれども、現実として実感できる「グッドバイ」なのでしょう。

悲しみが深くても、空腹を感じるし、眠くもなる。性欲すら生じる。朝が来れば目を覚ますし、人恋しくなり、誰かと話がしたくなる。
生きている限り、山口が漕ぐ小舟に乗り、ゆっくりと、しかし留まることなく、前に進まなくてはならないのです。

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