霊能者、スピリチュアリストはお墓重視。でも現実は……無縁墓が増加 | やぎおインフォ  
   
               
   

霊能者、スピリチュアリストはお墓重視。でも現実は……無縁墓が増加

霊能者と呼ばれる人や、スピリチュアルカウンセラーと呼ばれる人が、こぞって勧めるのが、先祖代々のお墓参りをすることや、供養をすること。自分の力でどうにもならないときにも、見守り、時に助けてくれるのはご先祖様だから、というのが大筋の理由です。
これについて、異論を唱える余地はありません。自分がここにある理由として、先祖代々に感謝の気持ちを持つというのは、至極まっとうな思考ですし、自分で自分を知り、見つめるきっかけとしても重要なことですから。

でも、こうした論の一方で、現実問題として、無視できない流れがあります。納骨堂だけでお墓を持たない人、納骨すらしない人が増え、先祖代々のお墓というものを持たなくなったり、永代供養による共同墓地、樹木葬、自然葬などが増えている、というのです。お墓周辺の事情がかなり変化してきています。

墓を捨てる人々

これは、NHKの「クローズアップ現代」を見て知ったことです。

クローズアップ現代 墓が捨てられる ~無縁化の先に何が~

お墓の承継者がいなくなるため、先祖代々のお墓を処分して納骨堂に骨を移す。これを「墓じまい」と呼ぶのだそうですが、この墓じまいを引き受けた業者さんが、石の粉砕業者さんに渡す墓石をその辺に捨ててしまうケースが相次いでいるのだそう。先祖代々守ってきたお墓という拠点が、絶対にあってはならない形で捨てられているのです。放送で不法投棄の現場を見ましたが、悲しくもおぞましい光景でした。

その一方で、墓石を粉砕するのではなく、広大な土地に安価で受け入れてくれるお寺さんのお話もありました。受け入れた墓石は住職がお経を上げて供養してくださいます。

霊能者の助言が通用しなくなる日

霊能者の方が、「お墓参りをさぼっているでしょう。墓石がずれてしまっていてご先祖様が怒っている。すぐにお墓参りをしなさい」といったメッセージを媒介して子孫に伝えるようなケースがあります。
こうした助言を聞いた人は、「ああ、そういえば何十年もお墓参りをしていなかった。供養をしよう」ということで現地に行き、荒れ果てたお墓をきれいにして、障りが解消する、というものです。
ということは、亡くなった方としては、きちんとしたお墓があって、それをきれいに保ってほしいという希望を持っているということになるのでしょうか。

ぼくは長男です。現在、家のお墓はありません。父方のお墓はあるのかどうかすら知りません。母方は墓地はなく納骨堂のみで、祖父と祖母、母の妹の骨があります。そして実家は、墓地はおろか納骨堂もありません。家の中に父の骨があり、母は納骨はしないと言っています。

先に挙げた霊能者の方の霊体験をベースに考えると、現在のわが家系の状況としては、不安定でご先祖様が落ち着かない状態なのではないか、と心配になります。

でも、先に挙げた、今後、お墓を持たないスタイルが定着するとすれば、こうしたエピソードを現実離れしたものとして受け取る世代が現れるのかもしれません。

その一方で、「信仰とは形ではなく、亡くなった方のことを忘れず、その方を想って手を合わせることが大事である」という考え方があります。この考え方もまた正しいと思います。物体や場所というのは、あくまで生きる側が亡くなった人を思い出しやすくなるための媒体であって、感謝や敬意を表する気持ちさえしっかり持っていれば、物体は関係ない、と。

ここからは、ぼくの想像というか、考えです。
ご先祖様を想うというのは、自分自身を深く知ろうとすること。つまり「内観」のひとつなのだろうと思っています。
ひとまず、現在のわが家系の状況を鑑みると、ぼくとしては、この「信仰は形ではない」説に沿ってご先祖様に敬意を払うしか方法がないわけですから、内観に至る媒体がはっきりしていない、ということになるのでしょう。
そして、「お墓参り重視」説に寄り添うと、媒体を通じて敬意を形にする=内観を行いやすい、ということになるのだろう、と思っています。
そのため、お墓を持たずに過ごすのであれば、より強く、ご先祖様に敬意を払う習慣を身につける必要がある。そう思いました。

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