ちょっと重ったい話ではありますが……。
『消された一家―北九州・連続監禁殺人事件―』
『家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』
こちら2冊を読んで、ふと気付いたことがあり、エントリを立てました。
どちらも若い被害者が逃走し事件が発覚していた
北九州事件でも、尼崎事件でも、事件が発覚するきっかけになったのは、いずれも若い被害者の逃走と駆け込み。ここに「おやっ」と思ったのです。
これは「若いとマインドコントロールのかかりが弱い」、「年齢を重ねるとマインドコントロールにかかりやすくなる」という仮説が立つのです。
でも、この仮説の根拠を考えてみると、大きく2通り考えられるんです。
ひとつは、「若いうちは、親や学校などの権威が存在するため、他者による権威付けが難しい」というものです。年齢を重ねると、親や学校などといった権威から解放されます。でもその代わりに、自分で自分の中に権威や自信をつくっておかないと、簡単に他者にコントロールされてしまうのではないか、ということです。
もうひとつは、「今の若い子は、生まれ落ちたその時から自由で、権威を必要としない」というものです。親との関係性も、昔に比べてゆるやかでドライになりました。友だちみたいな親子が増えましたしね。そうなると子どもは、小さいうちから自己に立脚した生き方を迫られることになるのではないか、そうすると自分の中に権威や自信が早く形成されるために、マインドコントロールが効かなくなるのではないか、という考えです。昭和生まれの大人の場合は、親や学校、共同体の力がまだ有効で、何かしらの権威に依存していたという原体験があり、無意識的な権威への依存欲求があるのでは、と考えました。
どちらもありえそうですが、同時に明白な根拠はありませんので、ただの思考実験です。
この考えの底にあるのは、フロムの『自由からの逃走』です。ざっとあらすじを言いますと、「ナチズムが起こるきっかけは、マゾヒズムとサディズムによるもの。人間は権威から自由になったことで、自分の力で立つ必要が出てしまった。しかし、自分の力で立つことができない人が、機械的に権威にすがりつくことによって、ファシストが蔓延するに至った」というお話です。
ファシズムが終わり、民主主義が世の中を席巻した現代は、そういう意味では世代間のギャップが強い時代なのかもしれません。
成人被害者が警察に駆け込んでも民事不介入で門前払いだが、
未成年被害者が警察に駆け込むと児童虐待で捜査開始するからじゃない?